初心者ドーラーお迎え顛末記 1/3

自分が“ひろか”と暮らすまで

 

 

※これからの文章は、2004年春頃=お迎えを待っている時期から、将来のWebサイト開設を見越して書いていた文章を、一部手直しして載せています。青文字は新たに書き加えた文章です。文章中かなり失礼な表現が多々ありますが、この当時の正直な感想ですので、そのまま載せてみました。

<2003年9月 出会い>

「シルフォーさんはいい人だけど、私には合わないと思います・・・。さようなら。」

なっなんだよぉー、

なんで、そうなるんだよー⁉

 

バッ、バカヤロォ~~~~ (T_T)

もう最悪だった。何もする気が起きないまま月日は流れて2003年9月某日。

何気なく覗いたWebアダルトショップ「KIYO」さんで、

「Doll」と書かれたページをクリックした事から、

全ての歯車が回り始めた。

~~~~~~~~~~

クリックしたWebページに載っていたのはハルミのDollだった。

うわっ、これってまだ売っていたんだ⁉

学生の頃に買ったエロ雑誌の広告に載っていた広告と全く同じような紹介写真がPCモニターに映し出されていた。

うへぇ、随分種類が増えているなぁ。

懐かしさと物珍しさもあって、Webページを読み進める。なぜかハルミへのリンクは切れていて見られなかった。

続いて興味本位で「リアルドール」と書かれた文字をクリックした。

げっ!?なんだこりゃ???こんなモノを買うヤツが居るのか???

目が点になると言うのはこの事だろうか。半ば呆れてしまった(オーナーの皆様申し訳ありません)。

続いて「Doll衣装」と書かれた項目をクリックしてみた。

何だ?人形用??の衣装???この用途は全く理解できないなぁ・・・

Webページの頭には「ゴジラ度」と書かれた文字と「ゴジラ度の説明は、たぁー坊さんの着せ替え資料室さんへ」の文字と共にリンクが張られていた。面白そうなのでクリックしてリンクを辿ってみた。

うがっ、気持ち悪ぃ、人みたいなリアルな人形がたくさん在るっう!?

いま思えば大変に失礼な感想ではあるが、初めてのDollとの出会いは衝撃的であった。“かわいい”とか“きれい”とか“美しい”では無く、あまりにもリアルな印象が強く、怖くて気持ち悪いとの印象が強く残ってしまった。さすがに続けて見る気も削がれて、そのままWebを切ってしまった(当時はダイヤルアップ)。


それから、しばらくして・・・


やはり「ゴジラ度」の意味を知りたくて、更には怖いもの見たさの気持ちもあって、再びta-boさんのWebサイトへ向かった。この時はサイト内を隈なく巡る事はせずに、資料室の用語集へ直ぐに向かった。目的の「ゴジラ度」の意味は直ぐに判った。止せばいいのに用語集の全てに目を通した。かなり面白かったのを覚えている。「むしゅめ」「み~も」「ぶちょう」もこの時に初めて知った用語であり、最初に覚えた用語でもある。これを機に暇があるとta-boさんのサイトを覗いていた。あくまでも興味本位、Dollをお迎えする気はさらさら無かったのである。

しかし、それは未知の扉を開いて一歩一歩確実に前へ進んでいた事実を、全く自覚していないだけだった。

 

<2003年、10月・11月 気がつけばドーラー予備軍>

Webのお気に入りにDoll関係のサイトが少しづつ増えてきた頃だった。どこをどのように巡ったのか忘れてしまったが、燐酸塩さんの「お人形だって花盛り」に辿り着いた。たしかリンクの案内に「Shall we Doll」が面白いと書いてあったからである。

一気に読んでしまった。たいへん面白かった。文章から映像が浮かび上がるような秀逸な話だった。暇があると何度も何度も読み返し、笑い・泣き・共感した。デビルマンのエンディングテーマが聞こえてくるくだり「うわっ、この人おなじ位の歳かな?アリスは可愛いけれど、もっと大人のDollが好きだな」などと思いながらも、何度も何度もサイト内を巡っていた。


このサイトとの出会いがDollに対する偏見を払拭してくれた事は書くまでもない。


1度読んでも2度3度読みたくなる文章は、そうそう無いであろうが、このShall we Dollは何度読んでも面白かった。

ところで、事態は確実に進行していた。慣れとは恐ろしいもので、当初は判らなかったDollの種類も、この頃になると少しは判るようになっていた。完全なるドーラー予備軍となっていた。この他に何度も読んだのは、ダウンワードさんの「愚かな日々」よたろーさんの「人生珍道中」など“シネシネ団”の諸先輩方のサイトであった。むろん伝説のサイト名高い「My Love Doll」も繰り返し読んだのだが、極論すれば、燐酸塩さんのサイトに出会わなければ、ドーラー予備軍にはならなかったとさえ言い切る事ができる。

しかし、まだここまで思い入れを持ってDollと接する自信は無い。お迎えは無いであろうと悟る

※1度読んで内容を知っていても、繰り返し読んでしまうような話をUP為さっているWebサイトが好みである。じつはそんな大好きなサイトを全て書いていると、ページが幾らあっても足りないので、その中でも特に代表的な有名サイトの名前を書いたに過ぎない。この辺りの感想・受け止め方は、あくまで自分の好みの話であるので、ご注意願いたい。因みに今はエチレンさんの風香の物語かな。こんな文章を書いてみたい、書ける才が欲しい。

ところで、デビルマンのエンディング曲は御存じでしょうか?誰も知らない知られちゃいけない~、と始まるのですよ(笑)。

<2003年12月 大波>

また見合いに失敗した・・・。もういい加減に自分も他人も嫌いになってくる。気を紛らわす為にta-boさんのサイトへ行く。この頃になるとta-boさんのサイトを起点にして、新築物件があれば見に行き、掲示板を覗き、メーカー各社の新着情報に目を通すのが日課になっていた。ちょうどオリエントのキャンディーガールJewel2(後のJewel 2009年6月に廃版)が発表され話題になってるのを知る。

ta-boさんのレポを拝見して衝撃を受ける

うわぁ、かわいいぃ。

きれいだなぁ。

でも・・・高いよなぁ。

半ば他人事のように考えていた「お迎え」。それは、残念ながら今まで強く惹かれるDollには出会わなかったから、本気でお迎えしたいと思わなかったからに他ならない。しかしJewel2美咲の写真を一目見た時からお迎えしたい欲求が日増に強くなっていった。

家族同居なのに何処に置くんだ?本気で60万も出す気があるのか?正気か自分⁉と自問自答している。初心者がいきなりシリコンと言うのも気が引ける。しかし「お迎えしたい時が迎え時」の名言が頭を過る。オリエントのサイトへ何度となく足を運び、ギャラリィーに展示されている写真をほぼ毎日眺めていたのだが、なかなか注文ボタンを押す踏ん切りはつかない。来る日も来る日も注文ボタンを押す直前まで来て戻る、を繰り返す日々が続いていた。

漢と書いて「おとこ」と読むのがやっと判った程度wなのだから、今にして思えば時期尚早だったようだ。

※何度も読んだサイトの1つ「ゑりえんと3姉妹」(たっつうさん)のコンテンツの1つに「漢(おとこ)の幸せ研究所」との項目があった。フリガナを振って貰っているにも関わらず、漢=おとこ、と読む認識が無かった(大汗)。また当時はシリコンDollは開発されたばかりでラテックスやソフビのDollが主流であった為、いきなりシリコンDollをお迎えするのはハードルが高いと思い込んでいた。まぁ時代ですな。


<2004年1・2・3月>


Jewel2の初回販売は踏ん切りがつかずに見送った。結納金の目途は立っにも関わらず、最後の一線を越えるまでには至らなかった。それでも相変わらず気が向けばDoll関係のサイトを巡る日々は続いていた。いっそ実用本位でハルミのDollでも買おうか?とも思っていた。じつは実生活で嫁を貰う期限は今年度が最後と決めていた。ダメなら一生涯独身のままで過ごそう、そんな思いを抱えながらも結局は何も行動を起こさないまま、何も出来ずに全てが中途半端な状態のまま、2004年の3ヶ月は過ぎてしまった。

ふとta-boさんの「キャンディー曲線」の用語を想い出す。みそじ~ずもまもなくお終いである。

果たして!お迎えは叶うのだろうか?「後悔ばかりの人生に終止符が打てるのか?」乞うご期待

暇だから次へ   呆れて戻る

 

※2006年現在、もっとも影響を受けた燐酸塩さんのサイト「お人形だって花盛り!」は消えてしまいました。残念でなりません。

ご存知の方が少なくなって来ているのかもしれませんので、参考までに、2004年当時のオリエント工業のDollラインナップ総称はキャンディーガールと呼ばれ、Jewel2(後にJewl)とJewel(後にpetit Jewel)でした。またJewel2初回販売受付時(2003年12月)は、数量限定なしで受付期間のみ限定されていました。それまでは受付期間と販売数が限定されていましたので、時期を逃すと次の注文受付期間まで待たなくてはならないのが当たり前の状態でした。そのような中でJewel2が注文受付期間中ならば必ずお迎えできる方法を取った事が画期的に思えました。今では信じて貰えない話かもしれません。

※2009年追記。
オリエント工業のラインナップが変わり、後にJewelと称された150㎝シリコンDollは廃版となってしまいました。また同時に販売を開始した美咲ヘッドも廃版となり、キャンディーガールの呼称もラブドール○○に変わりました。アリスヘッドが発売されて、ダッチワイフ然とした等身大人形が愛玩Dollとして大きく舵を切ったのは1999年です。ソフトビニールやラテックス代わりシリコンを使ったボディーが登場し、今に至る流れが始まりました。私がDollを知った当初は、老舗のハルミ、大手のオリエント工業、廃業してしまったチェスナット、JP-Dollの4社しかありませんでしたが、相前後してLEVEL-D、4woods、UNISONが動き始めます。また骨格も動かなかった(無かった?)シリコンDollは、後に骨格を内蔵したボディーへと変わり(=フリーボディー)、更に関節を任意の角度で固定出来てポーズが作れるようになりました。その後に多くのメーカーが産声を上げては消え去りました。詳細はta-boさんのラブドールの歴史をご覧になるとお分かりいただけると思います。

※2018年、引っ越しに当たり追記
いろいろと変わってきました。昔はta-boさんのWebサイトを中心にして各ユーザー(=ドーラー)同士の交流を始めDollメーカーの動向など、善い事悪い事注意点など、好い意味でお互いに統制の取れた世界でした。今は各個人バラバラで好き勝手にふるまってトラブルも絶えないと聞きます。また国産メーカーはシリコン主流になり完成度も行き着いた感がありますし、外国(特に中国?)産の安いDollも普及し始めてきました。選択肢が広がってユーザーにとっては嬉しい悲鳴、ハードルも下がった感がありますが、シリコンドールの進化を目の当たりにしてきたドーラーとしては何か寂しさも感じます。老害ですかなぁ(笑)。

2018年12月26日 記

inserted by FC2 system